研究
1. 胎児期および幼少期のストレスが脳の可塑性に及ぼす影響
急速に変化する現代社会における家族構成の変化は、親子関係、特に母子関係を中心とした社会環境に大きな影響を与えており、幼少期の虐待など、劣悪な養育環境によるストレスが、視床下部-下垂体-副腎皮質系などのプログラミングに影響を及ぼし、成長過程及び成長後の脳の機能・構造に重大かつ継続的な諸問題を引き起こし、成長後にうつ病、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、薬物依存などに罹患する確率が上昇することなどが報告されています。しかし、幼少期の一過性のストレスが生涯にわたって行動に影響を及ぼす分子基盤は未だ完全には解明されていません。そこで本研究では、「幼少期の養育環境が、DNAのメチル化やヒストンの修飾といったエピジェネティックな機構により特定の遺伝子の発現を長期にわたり変化させ、生育後の脳の神経回路形成や可塑性、内分泌の調節機構などに影響を与える」という仮説のもとに、母子分離ストレス負荷モデル動物を用い、幼少期ストレスが発達期および成長後の脳に及ぼす影響を、遺伝子と環境との相互作用を切り口に、分子から行動レベルまで生物階層性の階段を追って研究を進めています。そして、幼少期養育環境と精神神経疾患などとの関連性の分子基盤の解明、さらに生育後の精神神経疾患の予防・治療法の開発を目指しています。
2. 細胞外マトリックスと脳の可塑性
脳は、新たな経験や環境に応じて神経回路が変化する「可塑性」と、これまでの経験や記憶を安定的に維持する「安定性」の両者を兼ね備えています。私たちの研究室では、一見、正反対に見える脳の「可塑性」と「安定性」の両者を維持するメカニズムについて、細胞外マトリックスに着目し研究を行っています。脳の細胞外マトリックスの主成分はコンドロイチン硫酸プロテオグリカン(CSPG)と呼ばれる糖タンパク質であり、CSPGは神経細胞の突起伸展やシナプス形成を抑制する働きを持つことから、無秩序な神経回路の再編を防ぎ回路の安定化に寄与すると考えられています。一方で、新たな経験や学習により回路の再編が必要となった際、CSPGがどう扱われるのかについては未だ詳しく解っていません。またCSPGの興味深い点は、すべてのニューロンに均質に存在する訳ではなく、特定のニューロンの周囲にのみ高密度に存在し、ペリニューロナルネットと呼ばれる構造物を形成する点です。本研究では、脳の可塑性とCSPGの関連およびペリニューロナルネットの脳機能における役割について、その分子基盤の解明を目指します。
3. モデルマウスの集団内行動解析
ヒト疾患の病態解明と診断・治療法開発のため、これまで様々な動物モデルが作成され、分子レベルから細胞、組織、個体レベルまで様々な階層で基礎研究が展開されてきました。個体レベルの“行動”は、モデル動物の最終的なアウトプットであり、病態メカニズムの理解に重要です。これまで開発・実施されたモデルマウスの行動試験の多くは、「活動量」、「情動」、「記憶」など特定の指標を解析するために最適化されており、多くの発見に貢献してきました。しかしながら、これらの行動試験は普段の生活環境から切り離された実験環境の中で、数分から十数分程度の短時間、1匹の個体を解析対象として行われるのが一般的です。しかしながら、発達障害やうつ病などの当事者が日常生活の中で直面する困りごと(症状)は「学校や会社で馴染めない」、「ひきこもり」など家族や学校・会社といった社会的文脈の中で表出するものが多く、モデルマウスにおいても社会的文脈のある集団生活の中での行動を解析する必要があります。そこで我々は集団内においてマウスの個体を識別する独自の方法を考案し、集団内においてマウスの行動を長期的に解析可能なシステムの開発を進めてきました。このシステムを用いて、幼少期の生育環境を操作したマウスや発達障害モデルマウスの集団内における行動解析を行っています(Endo etal, 2018; Endo etal, 2019)。
4. ヒト組織の加齢変化とその人種差